話は去年の春までさかのぼる。
「あのころ俺は仕事がうまく行かんでな、やけになっていた」
庭先の桜を愛しげに見つめる。
「家賃が払えんようになって、追い出されて、
さぁどうしたものかとこのあたりを歩いていたとき、この桜にであったんだ」
愛しい女を見るような目つきの草薙に、なにやら不安を抱きつつ話の先を催促した。
「何もかもやけになっていて、
ああ、いっそのこと死んでしまおうかと思っていたらなにやら美しい声が聞こえてくる」
私は草薙の盃に酒を注ぎながら桜を見た。
草薙の声に呼応するようにはらはらと花びらの散るさまが、涙のように私の目に映った。
「何かと見上げてみたら、桜の枝に美しい娘が座ってこちらを見ている。
歳は・・・そうだな一七くらいだ。
桜色の着物に長く美しい黒髪。
口元で弧を描いた柔らかな唇・・・・
あっというまに俺の心を彼女が占めてしまった」
女に興味のなかった男なのに珍しいことだ。
「彼女のそばにいたくてこのぼろやを借りて何とか働き口を探し、暮らしてるんだ」
「その美しい娘さんってのはどこにいるんだ?会わせてくれるんだろう?」
冷やかし交じりで話すと草薙はすっと盃を持った指を桜の方へと向ける。
「ほれ、そこにいるだろう」
「何を言ってるんだ?桜しかないじゃないか・・・・・」
空きっ腹に酒を流しこんでいたため、酔いは回っていたが幻覚を見るほどではない。
「やはり、おまえにも見えんのか」
そういって悲しげにつぶやいた。
「いいや、俺に見えてるからそれでいいんだがな」
草薙のうっとりとした瞳の先に目を凝らしても、何もない。
はらはらと桜の花びらが散りつづけるだけだ。
思い出したように草薙が食い物の準備を始める。
待ってましたとばかりに、私は桜を背にして座りなおした。
「もし・・・もし・・・・」
女の声が耳元でする。
慌てて振り向こうとした私を女の声が制した。
「どうか、振り向かないでくださいませ」
はかなげな遠くから響いてくるやさしい声。
「どうか・・・そのまま、私のお話を聞いてくださいませ」
「あなたは?」
私は振り返りたい思いをぐっとこらえ聞き返した。
声がすぐ耳元で聞こえる。
真後ろに立っているんだろうか?
人が近くにいたとはまったく気づかなかった。
「わたくしは草薙様と親しくさせていただいているものでございます。
あなたさまを草薙様のご友人とお聞きしまして、
ぶしつけながらお願いをさせていただきたく参りました」
「ああ、ではあなたが草薙の言っていた・・・」
振り返ろうとするが、風と共に舞ってきた桜の花びらに振り返ることができない。
「どうか、振り向かないでください」
はい、とは言いがたかった。
美しい娘ならば私も見てみたい。
「草薙様にお伝えください。
ここを去り、二度とこの家にこないようにと。
わたくしに会いにこないようにと・・・お願い申し上げます」
「なぜですか?草薙はあなたのことを愛しているんですよ」
一目見ればわかる。
「わたくしもお慕い申し上げております」
そしてすすり泣く声が。
「ですが、共に生きては行けないのです。
出会ってはいけなかったのです」
「待ってください・・」
遠ざかる気配に慌てて振り返る。
ザァァァァァァァアアアアアアア
花びらがいっせいに舞う。
目を開けていられず、気づいたときにはすでに姿がなかった。
「おまえ、何やってたんだ?」
草薙の言葉を聞いて自分の姿を見る。
背中や肩に積もった桜の花びら。
「いま・・・おまえのいっていた・・・・」
私はそれ以上言葉を失った。
草薙の言っていた娘の正体がなんとなくわかってしまった。
そして、草薙自身も娘の正体気づいていることに。
「たいしたもんはないんだが、食ってくれ」
「すまんな・・・」
出されたものを口に運びながら、さっきの娘の言葉を伝えるべきか悩んだ。
やがて、疲れと早くに口にしていた酒が回り、心地よい眠りへと落ちる。
夢うつつ、人の声が耳に入る。
「会いたかった」
「・・・もう、お会いできません。
どうか、人の世界にお戻りくださいませ」
「俺はおまえのためなら人の世も捨てよう」
「ああ、どうかそのようなことを口になさらないでくださいませ」
「私のことが嫌いか」
「どうしてそのようなことがありましょう。
お慕い申しております」
「ならば俺と共にいてはくれまいか」
「それはなりません。
どうかわかってくださいませ。
ご友人がいらっしゃったのも何かの縁でございましょう。
どうか、あの方と共に人の世に」
「彼ならわかってくれる。
彼がここへ来たのもきっと俺達を見届けるためだ」
「ああ、あなたとは離れたくありませんのに、
あなたとともには生きられない」
「共に生きよう」
男の声は草薙だ。
ひどく重いまぶたをわずかにあける。
庭の桜の前に二人の影が見える。
一人は草薙、そしてもう一人は。
「草薙様・・・」
草薙の胸に自分の体をあずけた。
なるほど、草薙の言うとおり美しい娘が立っている。
「俺をおまえのもとへ連れて行ってくれ。
後悔はしない、おまえと共ならどこへでも行こうぞ」
「離れたくありません」
これ以上二人の逢瀬を除くのも無粋だ。
ひどい眠気が再び襲い、私は再び深い眠りに落ちた。
「もし、もし」
私は心地よい眠りから無理やり揺り起こされた。
目の前にあったのは老人のしわだらけの顔。
「うわ・・・あんた、誰だ」
「それはこちらがききたいですよ。こんなぼろやで何をなさっておいでだね」
私は慌てて起き上がるとあたりを見回した。
昨日食事をし、飲んだ後もなく。
それどことか、部屋の中はまるで何年も人が暮らしてないような荒れよう。
「はて?草薙はどこに行ったんだ?」
「あんた、草薙さんの知り合いかね」
「はぁ、昨日偶然会いまして」
「そうかい、生きてたんだな。
5年前に急にいなくなって、わしら桜に食われたんだと心配しとったんだわ」
老人の言葉を聞いて再び桜をみる。
「桜が・・・散ってる」
「何をいっとるんだい、この桜は草薙さんが消えてからまーったく花をつけんようになったがね」
そんなはずは・・・昨日まで美しい桜の花が咲いていたのに。
「他の花と違う時期に花を咲かせて、男達に女の幻を見せるから
『お化け桜』って名前までつけられてなぁ、草薙さんも女の姿が見えると言っておったわ」
「草薙はどこですか」
老人は首をかしげた。
「あんさんが一緒におったって・・・」
老人は私の肩を軽くはたいた。
「どこぞの桜が風に舞ってきたかな」
肩からはらはらと桜の花びらが舞う。
「まぁ、こんなとこおっとったら桜に食われるで、はよう自分の家に帰りなせぇ」
私は老人に追い出される形で、その家をでる。
しかし、草薙はどこに行ったんだ?
私は花をつけずにある桜の木の下へ行った。
「こりゃ・・・」
桜の根元に半分埋まっている盃を見つける。
昨日、酒を酌み交わした盃だ。
「ひっ」
それを掘り返しかけて、慌てて手を引っ込めた。
土の中に盃の下から白い物が見える。
人の骨だ。
「草薙・・・なのか?」
腰を抜かし、そのまま後へと後ずさる。
「食われたのか、それとも・・・」
私は呼吸を整え、盃とともに土をかけ生めた。
「共にそちらで生きることにしたのか・・・・」
ほろりと涙がこぼれる。
昨日の草薙は本物だったのか、それとも、桜の見せた幻か。
特に親しくもなかったのに、
悲しくもないのに、
ほろりと落ちた涙は桜の根元に吸い込まれていく。
「あの時、私がおまえを引き止めていればよかったのか?」
桜を見上げた私の瞳はすでに乾き、青空を捕らえていた。
「いかんいかん、そろそろかえらねば」
少なくとも、私は一人の友人を失った。
ただ、それだけ・・・
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