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更新日:2009年07月20日
タイトル : 蜂 [ショートショート]


レンゲ畑の中を歩く。
花が私の足元で揺れ花の海の中を歩いている気分にさえなる。
このまま、花の海の中へ沈んでしまえれば・・・。

「先生、どうしたの?」

生徒の一人が私の手を引っ張る。
今までの暗い考えが、子供達の笑顔で消え去っていく。
私は遠足の引率で子供達と一緒にレンゲ畑に来ていたことを思い出した。
生徒はぼんやりとしたままの私を心配しているようだ。
私は何とか顔の表面にだけ、笑顔を出した。
「お花がきれいだなぁって思ってね」
「そうだよね、でも、あっちもキレイだよ」
生徒は私の手を引いて、他の生徒のいる場所まで引っ張っていく。

「みんなで集まって、何をしているの?」

私は生徒たちが覗き込んでいる場所に向かった。
そこは柵で囲われた場所だった。
柵には古い看板が付けてある。
もう所々掠れているが、『キケン』という文字だけは辛うじて読めた。

「あら、ここから先は行けないのね」

生徒たちが危なくないように、自分が前に出る。
私はその向こうを覗き込むように背を伸ばした。

「先生、ほらあそこ」

一人の生徒が私の目の前を指差す。
日差しに反射して、木の枝の先に何かが光った。
「何かしら」
生徒たちは何かを指差す。
木の枝の先に、何かある。
私は促されるまま、柵の向こうへと体を伸ばした。
小さな手の感触が、背中に当たる。

「え・・・・?」

その感触はいくつもの、いくつもの生徒たちの手。
反動で私の体は柵の向こうへ倒れこんでしまった。
「きゃぁ」
とっさに頭をかばったものの、体をひどく地面にぶつけた。
腕にも擦り傷が出来ているし、見えないが顔もひどく痛む。
イタズラにしても度が過ぎている。
私は腕をさすりながら、柵の向こうの生徒たちに怒鳴った。
「もう、何をするの!」

しかし、柵の向こうに人の姿がない。

私は何度も瞬きをした。
どういうことなの?
私は急に不安になった。

「どうかしたんですか?」
急に声を掛けられて、びくっと体がこわばる。
振り返ると、やさしそうな笑顔の男の人が立っている。
「お怪我をされているようですが、大丈夫ですか?」
私は急に恥ずかしくなった。
教師が生徒に突き飛ばされて、怪我をしたなんて言える筈が無い。
「あの、転んでしまいまして」
「僕の家がすぐそこにありますので、怪我の手当てをされませんか?」

私は断ろうとして、断れなかった。

別れたばかりの恋人と、よく似たやさしそうな笑顔を彼が向けているから。
それに、鼻先をくすぐる甘い香が気になっていた。
彼は子供のような笑顔を向けてきた。

「ボクは甘いものが大好きでして」

私はその照れたような笑顔に安堵し、
怪我の手当てだけをさせてもらいに彼の家へ向かった。
木立の向こうに建つ、小さな家。
さっき見たときには気付かなかった。
彼に促されるまま家に入る。
家の中はさらに甘い香でいっぱいだった。
「お茶でも入れますよ」
彼はそう言って、奥へ向かった。
なんで、私はココにいるんだろう。
「そうだ、子供達が・・・」
私は生徒たちが心配していないか、怪我をしていないか不安になってきた。
さっき私を突き飛ばしたのは、イタズラだったのだろう。
その点は大いに叱るべきではあるが、
教師である私が生徒たちを置いて見ず知らずの男の家に来るなんてあってはならないことだ。
私は怪我の手当てもそこそこに、立ち上がった。

「もう帰ります」

そう決心したのに、鼻先を甘い香がくすぐる。
「お茶を一杯だけ、飲まれませんか?」
彼は私の目の前に、カップを置いた。

深い紅茶の色。

渦巻く、香。

ゆっくりと座り、
私は知らず知らずのうちにそのカップを口にしていた。

「一杯だけいただきます・・・
子供達も心配していますし・・・」

口の中へ広がる甘い蜜。

紅茶と思っていたそれは、
甘い蜂蜜のお茶だった。

「帰る必要はありませんよ、
今日からあなたが女王様ですから」

彼のその言葉の意味はわからなかった。
ソーサーに置いたカップに彼はもう一度甘い蜜を注ぐ。
私はそれを抵抗もなく、口に運んだ。

「子供達も心配はしていません、あの子達とは取引をしましたから」

喉の奥へ流れる甘い蜜。

私はもう、その飲み物の虜になっていた。
部屋の中に甘い香がさらに広がる。

その香は、私から溢れ出していた。

「子供・・・たちが・・・」
「大丈夫、子供はこれから増えていきますから」

薄れる意識の中で、羽音が響いた。


「先生、大丈夫かなぁ」
「大丈夫だよ、先生美人だもん」
「元気になるといいなぁ、先生」

生徒の一人が指を指した。
「ほら、さっきの蜂さん」
一匹の蜂が子供達の視線の先で止まり
合図を送るように飛び、巣へと戻っていく。

木の枝に下がった古い蜂の巣。

生徒たちがその巣を見つけたのは遠足に来てすぐのことであった。
柵越しにそっと様子を窺うが、蜂の姿はない。
どうもずいぶん前に蜂が駆除されてしまった後のようだ。
すると、巣から一匹の蜂が飛んできて、生徒たちに声をかけた。

「私と取引をしないか?」

生徒たちはびっくりして、声を失う。
それもそうだ、蜂が喋ったのだ。

「驚くことは無い、私は蜂の精霊だ。
永い間眠っている間に、巣は荒らされ仲間はいなくなってしまったのだ」

蜂は表情には表れなかったが、悲しそうな声を出した。

「しかも柵に魔法をかけられ、
私がココから出られないようにされてしまった」

生徒たちはこの不思議な蜂を興味深げに見ていた。
しかし、疑うという言葉をもたないほど、子供達は純粋だった。
その子供達に、蜂はくるくると弧を描いて飛びながら喋りつづけた。

「私たちの仲間を増やすために、女王が必要だ」

蜂はレンゲ畑にいる先生のほうを向いて飛んだ。
「彼女を我々の女王に迎えたい」
生徒たちはバスの中で暗かった先生を思い出し、ずいぶん考え込んだ。
「でも、先生は人間だよ」
「それは大丈夫だ。
私はこの柵を越えてきたものを、蜂に変えることが出来る」
「本当に?」
「本当だとも、ただ、私はココから出られない。
君たちが彼女をこちら(柵の内側)につれてきてくれないか?」
「・・・でも・・・」

「代わりといってはなんだが、君たちの願いを叶えてやろう。
ただし、こちら側でしか私の力は使えないがね」

生徒たちは皆で話し合うと、声をそろえていった。

「先生がずっと笑顔でいれるようにしてくれる?」

蜂は生徒たちの声を聞いて、頷くように飛んだ。

「ああ、もちろんだとも。
        女王になるのだからね」

その声を聞いて、一人の生徒が先生を呼びにレンゲ畑へ走った。

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